AIのアウトプットは、使う人の思考力を反映するという残酷な現実

職場ではGoogleの生成AI(GeminiやNotebookLM)を使用できる。

メーカーの研究開発部門での人材育成を担当しているが、今の仕事内容はものすごく生成AIと相性がいい。

例えばスキルマップを作成する際、「研究開発部門での一人前(スキルレベル3)とはどういう行動がとれることか?」と、担当者間で議論し、その議論内容を録画して生成AI(Gemini)に議論内容を読み込ませると、一人前の基準案を作成してくれる。

さらに、スキルマップを目標管理(MBO)や等級評価に入れ込むべきか聞くと、メリットデメリットだけでなく、Geminiなりの対応案や、その対応案を採用した場合の盲点(リスク)・リスク回避の方法まで提案してくれる。

部門間で意見が割れた時も、メールや資料・議事録を読み込ませると、論点を整理してくれる。会議で正論だけ言うと相手のメンツをつぶすから、全体最適のためにA案で言ってはどうか?等、人間関係も配慮した提案をしてくれる。

ものすごく便利になった。

 

AIの導入により、仕事が早く進むというよりは、論点整理や多角的な視点で壁打ちできるので、仕事の質が上がっている印象。

 

ところが、同じ部門の人の使い方を見ていると、生成AI(GeminiやNotebookLM)からのアウトプットの質が低いな・・と感じる時がある。

●違い①AIからの回答の文字数を減らし、シンプルにしている。
例えば、がスキルマップの評価結果を目標管理(MBO)に紐づけるべきかという議論の際に、同じ部門の後輩が「Geminiがこう言ってます」とチャットを送ってくれた。しかしその内容は、「まずは、シンプルに考えよう!!等級評価に紐づけずに、まずはスキルマップを導入しよう!!」という非常にシンプルな回答だった。

私のプロンプトだと、同じ意図の問いに対して、提案趣旨・その理由・その提案内容で進める場合の盲点(デメリット)・盲点に対する対策案という構成で、1,000文字以上は返答してくれるので、こんなにシンプルに返答させるプロンプトもあるんだ!!と逆にビックリした。

 

●違い②AIから具体的な提案を引き出せていない

「組織の文化をどう変えていこうか?」という議論の際に、NotebookLMでスライド資料を作成してたたき台を作ってくれた人がいた。
しかし、内容は「今の混乱状況は、未来への成長のために必要です」「現場からの不満はよりよい組織を目指したいという気持ちの表れです」という現状の解釈にとどまっていた。

現場の感情の受け止め方はわかったけれど、結局、具体的にどうするのかというアクションに対する提案はなかった。。。

 

●違い③別案の検討がない

会議の運用案を変更する案をGeminiを使って検討してくれた人は、自分の「推しの案」を深掘りするために使っていた。「その目的を達成するためなら、別の運用がいいのでは?」と質問すると、答えに窮しておられた。。

 

●AIを使いこなせていない人の特徴

正直、AI使いこなせてないな・・と感じる人の特徴として、言語化や判断が苦手だったり、対案を考える習慣がないんだと思う。

Geminiなどの大規模言語モデルは、AIの言語の出力に対して、人間も言語で指示を出す必要がある。例えば、組織文化に関する問いであれば、「では、具体的にどうすればいいか案を考えて」と深堀すれば、AIから必要な情報を聞いてくれて、案を作成してくれただろう。

シンプルな回答を好んで使っている人は、「多角的な視点で回答されると決断できない。」と言っていた。普段の仕事でも、意見が対立すると困ってしまって決断できない傾向にある。そもそも自分が決断する責任を引き受ける事自体が、苦手なんだと思う。

 

AIは人間の仕事の質を高めてくれるが、どの程度仕事の質を高めてくれるのかは、使う人の言語能力や判断力に依存する。

AIがない時は言語能力や判断力の高い人と低い人の差は、個人の能力の差だけだった。AIを使うことで、言語能力の高い人・判断力の高い人の仕事の質は何倍にも上がり、言語能力や判断力の低い人の仕事の質は1.2倍くらいにしかならない。。

AIが人の思考力の差を可視化するという残酷な現実がある。。

同じ会社なのにこの差!心理的安全性が高い職場に異動して気づいたこと

2025年1月、監査部門へ異動しました。しかし、教育体制が整っておらず、マニュアルがない中で色んな人に聞きつつ業務を進めるけれど、聞く人によって言う事が少しづつ違うし、厳しい口調の指導が続く環境に、心身ともに疲れ果ててしまいました。

休職を経て、異動願いが叶ったのが2026年1月。再度、研究開発部門で働くことになりました。とはいえ、これまでの経験を活かした商品開発や品質業務ではなく、教育や情報管理といった研究開発部門全体の管理業務の担当です。

初めての業務、初めてのメンバー、そして久しぶりの仕事。 大きな不安を抱えながら出社しましたが、新しい組織での自己紹介タイムが、素敵だったのです。

1. 「歓迎されている」を実感した自己紹介

まず自己紹介の時間があり、既存メンバーも全員自己紹介をしてくれたことに感動しました。 同じ建物内の異動で、顔見知りも多い数百人規模の組織。それでも、新しく入った私達のために、全員が時間を割いてくれました。

前の部署では、私一人が一方的に自己紹介をして終わり。こだわりが強く、会議中に突然怒鳴り出すような人が多い環境でしたが、その「怒りのツボ」を仕事の中で探らなければならず、常に精神を削られていました。 今回のチームは、新任の私を温かく迎え入れようとする配慮が感じられ、それだけで心が軽くなりました。

2. 「弱み」や「価値観」を共有できる文化

自己紹介の内容も、単なる職歴紹介に留まりませんでした。 「好きな仕事の内容」「仕事のスタイル」に加え、周りに配慮してほしいことまで共有し合ったのです。

既存メンバーの一人が「繊細な性格なので、きつい言い方は避けてほしい」と伝えると、周りが温かく頷く。そんな優しい空間でした。 前の部署で同じことを上司に伝えた際は、「一晩寝れば、みんな言ったこと忘れてるから。そんな繊細な性格じゃダメだ。」と切り捨てられたのとは、大きな違いです。


1ヶ月経って実感する「心理的安全性」の威力

このようなスタートから1ヶ月。チームの心理的安全性が高いと、これほどまでに仕事が進めやすいのかと驚いています。

① 「そもそも論」を前向きに議論できる

今のチームでは、「そもそも、この組織に望ましい文化とは?」「どの階層の、どんな成果のためにスキルマップを作るのか?」といった本質的な議論ができます。 私が疑問を投げかけると、これまでの経緯を丁寧に教えてくれたり、未議論の課題をそれぞれの視点で出し合えたりと、ディスカッションがどんどん深まります。

一方、前の部署はプライドが高いベテランが多く、「そもそも論」を嫌う傾向にありました。 ISO9001の研修で学んだ改善案を提案しても、「今のやり方で一定の成果は出ている」と不機嫌になられて改善の議論は進まず。

自分達の過去のやり方に固執せず、目的達成のためにベストな進め方を考えられる。そんな今の組織の方が、高い成果を出せると感じています。

② コミュニケーションの量が違う

今の部署は、日常的な会話がとにかく豊富です。 チャットで「家庭菜園の大根いりますか?」と聞けばすぐに反応があり、会議中も「その進め方、参考になります!」と盛り上がる。飲み会や、方針を議論する少人数の場も用意されています。 普段からコミュニケーションを取る土壌があるからこそ、「ちょっと迷っているのですが」という相談が気軽にできるのです。

前の部署では、隣の席の人とも挨拶以外言葉を交わさない日がありました。 チャットが唯一盛り上がったのは、部長の資料に誤字を見つけたときだけ。私が異動しても歓迎会はなく、隣のグループの人が見かねて開いてくれるような孤独な環境では、質問一つするのも勇気が必要でした。

③ 「多様な意見」が尊重される

今の部署では、20歳以上年下の後輩が、先輩の提案に違和感を伝えても、決して怒られることはありません。多角的な視点から協議が行われ、仕事の質が向上しています。

前の部署では、先輩に質問しただけで「頑張って調べた人に失礼だ!」と叱責される文化でした。「内容」ではなく「誰が言ったか(年下か、女性か)」で判断される環境では、多様な意見が出ず従来の仕事のやり方は変わり難い文化でした。

 


まとめ

同じ会社とは思えないほどの、文化の差。 「普段からコミュニケーションをとり、多様な意見を許容することが、高い成果につながる」 心理的安全性の本に書かれている言葉を、今、身をもって実感しています。

(異動前の状況や、休職を踏まえた抱負は[こちらの記事]から)

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年末の串本旅行③橋杭岩での岩遊びと90年越しの恩返しに感動したトルコ記念館・明治建築の樫野埼灯台

串本家族旅行の続き。橋杭岩での岩場遊びから、海難事故がきっかけで生まれた日本とトルコの深い絆を学ぶトルコ記念館、日本最古の石造り灯台樫野埼灯台を訪問し、私の感想と子供達の反応をまとめた記事。

1.橋杭岩

Sora Miruで宇宙についてたくさん勉強して頭が疲れたので、自然を見てリフレッシュしようということで橋杭岩へむかった。

岩が点々と配置されている不思議な地形の橋杭岩は、泥岩の層に入り込んで固まった火成岩(マグマが固まったもの)が、その後の地盤の隆起や波の浸食によって周囲の柔らかい泥岩だけが削り取られたことで、橋の杭のような姿で残ったものだそう。

 

ここでも子供達は岩遊びに夢中だった。藻を踏むとすべりやすいので、藻を「緑の悪魔」と呼んで藻を踏まずに遠くまで行けるかチャレンジしていた。

私は岩場に登ってぼんやり波を眺めた。点在する岩の間を波が満ち引きする様子が面白くて、何時間でも見ていられそうだった。

2.トルコ記念館

橋杭岩と岩場遊びを堪能した後、トルコ記念館近くのCafe la lapin ~カフェ・ラパン~で遅めのランチ。串本町の先端 樫野埼をイメージしたカレーを頂いた。

 

その後、歴史好きの子供達にあわせてトルコ記念館へ。

1890年(明治23年)にトルコから友好使節団を載せて派遣されたエルトゥールル号が、串本沖で遭難した際に、当時の串本の人達が献身的に救助した。ここは、その遭難事件や、日本とトルコの強い絆について紹介する資料館だ。

まず驚いたのは、事故の悲惨さ。殉職者587名に対して、生存者はわずか69名。生存率は約1割だ。

一般的に大きな事故は複数の原因が重なって起きると言われているけれど、エルトゥールル号遭難事故にも当てはまる。

もともと建造後25年を経た木造船であり老朽化が進んでいたこと。航海の途中スエズ運河で舵を破損し、シンガポールでも船体部分の修理に5か月かかり、香港から長崎にむかう途中で暴風雨に見舞われたり船が航海によりダメージを受けた状態であったこと。さらに、台風が発生しやすい9月に出航していることが重なって事故につながった。

日本側から台風の季節を避けた方がよいのではないか・・と申し入れをしたそうだが、船員にコレラ患者が出始めており出航を急ぐ必要があったようだ。

日本で船体を修理し、コレラ患者も治療した上で、台風の季節を避けて出発できていれば...と、思わずにはいられない。

遭難事件の際、当時の串本の漁師たちは台風のため漁に出られず、自分達の食料も足りない状態だった。そんな状態にも関わらず、遭難したトルコ人のために貯蔵していた食料や飼っていた鶏を差し出し、衣類や布団を持ち寄り看病したそう。

その後、生存者は神戸で治療され、日本国民から集まった義援金とともに明治政府の船で無事にトルコまで送り届られた。

当時の人々の献身的な姿勢に頭が下がる。現代では困っていても自己責任論が強調される場合もあるが、当時の人々の方がお互いに助け合う文化が残っていたのではないだろうか。

トルコ記念館の屋上から遭難場所が見える

さらに感動したのは、トルコの人たちがエルトゥールル号での日本人の献身を忘れずにいてくれたこと。

1980年(昭和60年)、イラン・イラク戦争の中でイラクサダム・フセイン大統領が、今から48時間以降にイラクの上空を飛行する飛行機は撃墜すると発表した。

世界中が大混乱に陥る中で、イラク在住の日本人は国外に脱出する手段を失う中で、トルコ政府が2機の飛行機で逃げ遅れた日本人215名全員を乗せて、テヘランから脱出させてくれた。

トルコはエルトゥールル号の事故での日本の対応から、親日家が多いらしく、献身的に支えてくれた日本への90年越しの恩返しをしてくれたというわけだ。

災害大国の日本は災害が起きるたびに、世界中の国々に助けてもらっている。

トルコの人たちのように、支援頂いた気持ちを90年も語り継いでいきたい。

3.樫野埼灯台

トルコ記念館から岬の歩くと、樫野埼灯台が見えてくる。黒潮の影響で年末とは思えない温かさで、植物も沖縄に近い気がする。そういえば、みんなコートを脱いでいた。

この灯台、なんと明治2年(1869年)に着工し明治3年(1870年)に点灯し、2025年末現在も現役で活動している!

リチャード・ヘンリー・ブラントンさんというイギリス人が指揮をとられたそうだけれど、おそらく当時の日本の技術者も実務を担ったのではないだろうか。

開国からわずか3年で灯台を建設し運用を開始できるなんて、明治時代の変革の速さ、適応力には驚かされる。

4.まとめ

海辺での遊びに、水族館や宇宙博物館、そしてトルコ記念館での学びの体験。それに加えて、温泉でのんびり過ごすこともでき、親子ともに大満足の旅になった。

帰宅してからも、子供たちが「岩遊び、また行きたい!」と言ってくれていて、旅先でのふとした体験から新しい「好き」を見つけてくれたようだ。

子連れ旅は、一人旅ほど展示内容をじっくり見られない代わりに、訪れた場所に対して子供たちがどう反応するのかを見守る楽しさがある。これからも、子供たちの興味関心を広げるためにも、家族でのお出かけを大切にしていきたい。

 

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年末の串本家族旅行②体験型 宇宙博物館 Sora Miru

和歌山県串本への家族旅行の続きで、最新の宇宙博物館『Sora Miru』の体験レポート。

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大江戸温泉物語で朝食バイキングを堪能し、朝風呂に入ったり漫画を読んだり・・と、10時頃までのんびり過ごした。

①Sora Miruとは

ホテルを出発してSora Miruへむかった。Sora Miruは、夫がYouTubeで見つけてくれた施設。体験型の展示が好きな次男も「行きたい!」と言ったことで訪れた、宇宙やロケットの展示・体験が楽しめる博物館。

www.soramiru.jp

 

もともと市役所だった場所を活用しており、外観は確かに役所っぽい。

 

②巨大な地球儀と宇宙兄弟

中は3階まで展示スペースになっているが、行ったタイミングでは3階のシアターがお休みだったため2階から見学した。

子供達が夢中になって遊んでいたのは、巨大な地球儀。タブレットで地球儀の情報を読み取ると、その場所の雲の様子や現地の映像などが画面に表示されるので、色んな地域を見て楽しんでいた。

 

その間、マンガ宇宙兄弟好きの私は、JAXAの宇宙服を着た宇宙兄弟の主人公ムッタとヒビトの写真撮影。

作中でムッタとヒビトが2人揃ってJAXAのユニフォームを着るシーンはないため、Sora Miruでしか見ることができないシーンだそう。

他にも絵具を飛ばして天の川を表現したロケットの絵画や、子供達の絵を貼り合わせて作ったロケットの絵画など、面白い作品の展示もあった。

大下倉和彦氏の指導のもと子供達が描いた絵画

このような絵を貼り合わせて、上のロケットの絵を描いている

 

③月面画像撮影ロボット SORA-Q

1階は体験展示が盛りだくさん。

まずは、月面で画像撮影を行うために開発されたロボット SORA-Qの運転体験。

このロボット オモチャメーカー タカラトミーさんも協力して開発されたらしく、球体で運ばれなんと月面で変形する仕組み!タカラトミーさんのオモチャのロボットの変形技術が、活用されているそう。子供達も運転を楽しんでいた。

 

④宇宙服撮影コーナー

宇宙服撮影コーナーも充実。実際の宇宙服に顔をはめて撮影できるコーナーの他、好きなコスチュームを選んで合成映像を撮影できるコーナーもある。

次男がロケットエンジニアの制服を着た画像を生成する様子

⑤ロケットが串本に来た秘密

そもそも、なぜ串本で宇宙やロケットの展示があるんだろう?という、疑問に答えてくれる展示。

日本でロケットの打ち上げは種子島のイメージが強いけれど、2021年に串本でも開設されているらしい。運営はJAXAではなく民間企業のスペースワン。民間企業で宇宙産業に参入してロケットの発射場まで作っちゃうって、すごすぎる!

 

そして、串本が発射場に選ばれたのは本州にありロケットの輸送に適していること、発射場の近くに民家や建物がないこと、そして発射場の南や東に陸地や島がなく安全にロケットを打ち上げられるからだそう。

緯度が比較的低いからかと思っていたけれど、打ち上げた後の安全面で選ばれたんだなと納得。

⑥ロケットの仕組み

まずはロケットの燃料についての展示。宇宙には酸素がないため、「燃料(燃えるもの)」「酸素(燃やすための酸化剤)」「熱」の3要素が必要となる。

燃料には、合成ゴムなどに酸化剤をあらかじめ混ぜて固めた固体燃料と、 燃料(液体水素など)と酸化剤(液体酸素など)を別々のタンクに入れて使用する液体燃料の2種類がある。

打ち上げの高度が進むにつれて、燃料を使いきった燃料タンク部分は段階的に切り離され、加速しやすい身軽な状態で宇宙に到達する。

 

上のイラストで勉強した後で、ロケットに設置されたパネルを移動させると、ロケットの構造を見せてくれる展示もあり、さらに理解が深まる。

宇宙空間に到達したら、衛星を覆っていたカバーも外されるらしい。地上の感覚だとカバーで守らなきゃいけないと思ってしまうが、宇宙空間は真空なので空気抵抗による損傷がないためカバーなしでOK。

 

次に打ち上げ体験。ボタンを押すとモニター中でロケットが発射され、打ち上げが成功するとスタッフも一緒に喜んでくれる。モニターの映像だけど、なんだか嬉しい。

⑦手書きロケットを飛ばす

子供達が楽しんでいたのは、自分で色塗りした手書きロケットの画像を取り込んで天井に映写してくれるコーナー。行った時間帯は我が家以外の人がおらず、貸し切りだったので、家族みんなの描いたロケットが飛ぶ様子を楽しめた。

小さなお子さんも楽しめるコーナーだと思う。

 

⑧まとめ

頭脳は理系・興味は社会な我が家の子供達。Sora Miruには、体験できるコーナーがたくさんあり、宇宙に興味のなかった子供達もたっぷり1時間ちょっと楽しむことができた。

2024年にできたばかりの施設だからか、ゆったりと見学することができ、係の質問できるタイミングもたくさんあった。宇宙好きの方にも、串本に行く方にもおススメ。

年末の串本家族旅①:海中公園の絶景とのんびり温泉・マグロ

年末に和歌山県の串本への家族旅行に行ってきた。

 

1.企画

まず、行先の決め方について。出不精な次男を連れ出すために、次男のお気に入りの大江戸温泉物語に泊まれる場所、かつ、大阪から比較的近い場所という条件で和歌山県の串本を選んだ。

 

串本での観光場所は、以前父と母との赤穂旅行と同じく、GoogleのAI Geminiを使って選んだ。

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●Geminiへの質問文

私(博物館やキレイな景色が好き)、夫(関西万博好き)、長男(歴史やサピエンス全史など哲学好き)、次男(ゲーム好き)で和歌山県の串本まで、旅行に行く予定です。

車で移動する予定です。大阪●●市から行くまでの道のりでの観光や、串本でのおススメプランを考えて下さい。

●Geminiの回答

下記のようにいくつか観光プランと、おすすめ理由を教えてくれた。

長男や次男が歴史好きだけれど、私は歴史は詳しくないので、エルトゥールル号遭難事件を展示しているトルコ記念館は、自分でプランを立てていたら見逃していたかもしれない。自分とは異なる興味・関心を持つ人との旅行の企画は、Geminiを使うと便利!!

Geminiの案と夫が串本旅行のYoutubeを調べてくれた案をもとに、子供達の興味を優先して行先を決めていった。

 

2.串本海中公園

朝、大阪を出発し、3時間くらいかけて串本に到着した。

①ランチ

まずは、串本海中公園のレストランで、腹ごしらえ。串本はマグロが有名だけれど、夜の大江戸温泉物語のバイキングで食べる予定のため、鯛めしを頂いた。

ヤシの木が見えて、南国っぽい。

 

②水族館

水族館では串本の海にいる生き物が、展示されている。黒潮の影響で海水温が温かく温帯気候だけれども、サンゴや熱帯魚が生息しているのが特徴だそう。

子供達も興味深く鑑賞していた。

他にもタコやウミヘビ・ウツボ・ウニなど、多様な生物が展示されていた。

子供達は骨のない軟体動物のタコの頭が垂れ下がる様子が、面白かったよう。

 

串本はウミガメが産卵に来る土地でもあり、ウミガメパークがある。エサをあげると、勢いよくウミガメが寄ってくる!!

サメやマグロが泳ぐ水中トンネルも、魚を下から鑑賞できて面白かった。

他にも係員さんが、ミノカサゴに刺されちゃった写真の展示も。。。痛そう。。

③海中展望台

下の写真の海の中に建てられた白い塔のような建物が、海中展望台。建物の中に入り階段を降りると水面下の窓から、海を観察することができる。

建物の中に入ると、海の中を眺める窓がたくさんある。

窓の外にはサンゴ礁!!水槽みたいに見えるが、全て自然のサンゴ礁。季節によって見れる魚も違うらしい。

 

④海岸

海中展望台と水族館の間の海辺は、岩場が広がる絶景!

子供達は岩場の磯遊びが気に入って、1時間以上遊んでいた。

水に濡れないように岩場を渡り歩いたり、木の棒を拾って人という文字を作ってみたり、子供の発想は自由で面白い。

 

私も岩場の小さな生き物を観察したり、ウミガメの死骸を見つけたり!と、海辺を満喫。一方で、磯遊びに興味のない夫は退屈だったらしく、水族館をもう1周したらしい。夫よ、お待たせしました。

カニがいた

たぶんウミガメ

3.大江戸温泉物語

夕方まで串本海中公園で遊んだ後、大江戸温泉物語に移動した。

温泉に入った後、漫画を読んだりバイキングでマグロの解体ショーを見たりと、ゆっくり過ごした。

マグロを頂いた

 

長くなってきたので、続きはまた別で書こうと思う。

2026年の抱負 頑張りすぎず自分を大切にする

2026年の新年の抱負は、頑張りすぎない

 

2025年、20年以上勤めた会社で部署異動を経験したことがきっかけで、初めて体調不良による休職を経験した。マニュアルが整っていない一方で、仕事へのこだわりの強いメンバーが多い職場。「聞けばいいだけ」と言われるが、聞く人によって進め方が違う。。。そして、別の人から厳しい指摘を受ける・・、その繰り返しに疲れはててしまった。

(当時の状況は↓のブログから)

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眠りが浅い日も胃が痛い日も続いていたけれど、それでも、頑張らなきゃ・・と仕事を続けた結果、心が限界を越えてしまった。メンタルヘルスの先生にも、「頑張りすぎましたね。」と言われた。

 

休職中、先生から「心に栄養をあげて下さい。心が心地いいと思う事をやって下さい。それが治療になります。」と言ってもらい、自然の中で過ごしたり、美しい景色を見たり、アートに触れたり大人の社会科見学をしたり、友人に会ったりと、自分の好きや、心地よいと思えるものを、少しずつ集めるような日々を送った。

 

そして、1月から違う部署へ異動できることになり、また働くことになった。

頑張る事が美徳とされがちな会社の中で、頑張りすぎないのは難しいけれど、何より自分の心を大切に働きたい。

 

具体的には下記のチャレンジをやってみようと思う。

①1日8時間以上寝る

研究開発職として働いていた期間は、繁忙期は朝5時から起きて働くことも多かったけれど、休職して自分に必要な睡眠時間は8時間~9時間だとわかった。

睡眠はメンタルにも直結するので、8時間を死守したい。

 

②自然の中で過ごす時間をとる

休職中、森や公園の木々の下で過ごすだけで、かなり癒された。監査部門の職場環境では1日中ほとんど話さずPCと向き合うことも多く、心に負担がかかっていたと思う。

仕事の開始前や休憩時間に少し散歩するなど、毎日、自然の中で過ごす時間をとりたい。

 

③平日に休みをとる

私にとって万博のレガシーの1つが、ソロ万博ができたこと。休職中に1人であちこちに出かけることでも、自分1人の時間を過ごす大切さに気付いた。

復職しても意識して平日に休みをとり、自分のために時間を使いたい。

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④効率よく働く

①~③を達成するために、効率よく働く必要がある。

1月から異動する部門(研究開発部門の教育・管理)は、定型化しやすい業務が多いと思うので、どんどんAIにやらせる業務を見つけて効率化していきたい。

また、異動前の監査部門では、ちょっとした相談がしづらく効率的に働けなかった。

1月から異動する部門はちょっとした相談がしやすいメンバーなので、仕事の構想の段階からこまめに周りのメンバーに相談し、効率的に成果を出したい。

 

⑤家事を分担する

子供達の教育もかねて、家事を子供達にも分担させたい。

今は洗濯干し・食器を下げるお手伝いのみを必須にしているけれど、料理や風呂掃除なども手伝ってもらって、私にかかる家事負担を減らしていきたい。

大阪 造幣局見学

大阪市天満橋にある大阪造幣局の見学に、行ってきた。

 

●行き方

天満橋駅から造幣局まで、ゆっくり歩いて10分くらいだった。天満橋を渡り川沿いの公園を歩きながら、水の都 大阪の景色を満喫した。

レトロなレンガの塔を登り、造幣局に到着。

受付をすませ待合室で待つ間に、見学に来ている人達を観察すると、平日の午前中だったからか、40代50代くらいのグループが多かった。まさに、大人の社会見学。

 

●偽造防止の工夫と高い金属加工技術

見学の最初に500円玉を例に製造方法や偽造防止のための工夫を、動画で勉強した後、製造工程を見学した。

500円玉には4つも偽造防止のための工夫がほどこされてる。

①バイカラー・クラッド技術

令和3年製の500円玉から、異なる種類の金属板をサンドイッチ状に挟み込み(クラッド)作成された円板を、さらに異なる種類の金属でできたリングの中にはめ合わせる(バイカラー)技術が使われている。

確かに、造幣局で出来立ての500円玉を見ると、周囲と真ん中で光の反射が違うのがわかる。

また、製造工程でもまわりのリングだけを作る工程があった。

 

②異形斜めギザ

側面に入っているギザギザの一部は、他の部分とは異なる形状に入れられている。

通常貨幣では世界初の技術だそう。

 

③微細点・微細線・微細文字

模様や文字の間に微細な点や線がある。また、縁にはJAPANや500YENと、小さい文字が彫られている。すごい金属加工技術!!

 

潜像

見る角度によって、500円の0の字の間に浮かぶ文字が変わるように加工されている。

 

普段、何げなく使っている500円玉に、こんなにも偽造防止の工夫が施されていてビックリした。

製造方法は金属を溶解し伸ばした後で、打ち抜く。打ち抜いた金属の縁を盛り上がらせて加工しやすくし、熱で柔らかくしたのち汚れを洗浄し、圧力をかけて模様をつけている。

工場見学では金属を伸ばしたロールなども、見ることができた。

 

●貨幣の歴史・造幣局の歴史

続いで造幣博物館の見学をした。

大判・小判など古い貨幣の展示や、大阪関西万博や各都道府県をイメージした500円硬貨の展示など展示内容は盛りだくさん。

 

中でも、造幣局の歴史が面白かった。

明治2年に誕生した造幣局。大型の造幣設備は香港造幣局から購入したが、貨幣製造に必要な機械の多くを自給自足している。

例えば、強酸のため取り扱いが難しい硫酸を、明治5年には製造している。
開国からたった5年!!明治時代の海外の技術を取り入れるスピードは、本当にすごい。

明治初期に硫酸製造のために使用されたガラス瓶

また、貨幣の図案を考案し試作品を作成した加納夏雄さんや、天秤や計測機を製造した大野規周さんの技術は、当時のお雇い外国人も驚いたという。

貨幣の図案考案と試作を行った加納さんは、文政11年(江戸時代)生まれ。もともと明治天皇の太刀の金具の彫刻を行ったことがあり、その技術が見込まれた。

天秤や計測器を製造した大野規周さんは、文政3年(江戸時代)生まれ。1862年文久2年)から6年間オランダに留学し、精密機械の技術を学んだらしい。

明治の技術発展の裏には、自国の産業や留学等で技術を身に着けた人を、適切に配置する人事戦略も功を奏したのかもしれない。世襲制の江戸時代から数年で、適材適所の人事が行われており、明治時代の人たちの適応力には驚かされる。

加納さん手彫りの貨幣。手彫りとは思えない精密さ。

 

●金属加工技術の応用

造幣局の高い金属加工技術は、オリンピックのメダルや紫綬褒章などのメダルも作成している。

東京2020オリンピックのメダル

他にも金塊や銀塊を触れるコーナーもあり、2時間くらいじっくり見学した。大人の社会見学に、オススメ。